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大阪高等裁判所 昭和57年(う)171号 判決 1983年9月30日

本籍

神戸市垂水区美山台二丁目七六二番地の二五八

住居

同市同区美山台二丁目一五番一六号

合成皮革靴製造業

大塚忠雄

昭和三年二月一一日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和五六年一二月二一日神戸地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から控訴の申立があつたので、当裁判所は次のとおり判決する。

検察官 山路隆 出席

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人大槻竜馬作成の控訴趣意書(なお、弁護人笠松義資及び同大槻竜馬共同作成の同補充書、当審における「弁論要旨」を含む。)に記載のとおりであり、これに対する答弁は、大阪高等検察庁検察官検事山路隆作成の答弁書に記載のとおりであるから、これらを引用する。

第一事実誤認の主張について

論旨は、要するに、「原判決は本件の査察調査が著しく経験則を無視したものであることを看過し、かつ、被告人側の反証活動不十分のままで審理を尽くさず、そのため証拠の評価及び事案の総合的な判断を誤り、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認を犯したものである。」と主張し、幾つかの勘定科目について原審の認定判断を論難している。

そこで、原審で取調べられた関係証拠を調査し、当審における事実取調の結果をも併せて検討するに、原判決に所論のような事実誤認の違法があるとは考えられない。

以下、主要な論点について若干の説明を加える。

一  本件査察の経過及び所得額の認定に関する推計の合理性

所論は、本件犯則事件の査察調査の過程において、国税査察官らが被告人の主張を顧慮せず、一方的に調査を進めたとしてその非を攻撃する。

しかしながら、原審公判にあらわれた関係証拠、とくに、本件の査察調査にたずさわつた原判示篠原滋、豊田功らの原審証言、国税査察官ないし大蔵事務官らの作成にかかる「調査報告書」「査察官調査書」、被告人の検察官調書及び大蔵事務官に対する質問てん末書等によれば、本件における査察官らの調査は被告人の主張・弁解をも考慮にいれ、被告人側の提示した資料・計算の結果等に関しても是認に値するものについてはこれを採用するなど、不公正・一方的などの批判を受けないよう慎重な経緯で進められたことを認めるに十分であり、この点に問題があるとする所論は容れることができない。

所論は更に、本件逋脱所得額の認定に用いられた推計計算の方法に合理性が認められないと主張する。

しかしながら、本件においては、期首・期末たな卸高ないし簿外経費等、各年次の逋脱所得額算出に必要な金額の認定を行なうにつき、帳簿書類等の直接的な資料がほとんど皆無に近かつたため、いわゆる推計計算の方法を用いざるを得なかつたものであるところ、前掲各証拠及び原判決挙示の証拠物等によれば、右推計に供された基礎資料は正確に把握されており、推計の方法においても一般的な合理性並びに個別的な妥当性に欠ける点のないことを認め得るのであつて、一部原判決が訴因に示された額を上まわる経費等を容認した部分を除けば、本件で用いられた推計の過程・結論に合理的な疑いをさしはさむ余地のないことを認めることができる。したがつて、原判決の依拠した推計の合理性を争う所論も採用できない。

二  給料賃金について

所論は、昭和五〇年ないし五二年分の給料賃金につき、被告人の原審及び当審各公判における供述、従業員らの確認書、給料帳、タイムカード等に徴すると、支給実額に関する原判決の認定には、これを過少に認容した誤りがある、と主張する。

よつて、検討するに、関係証拠によれば、(1)被告人が合成皮革靴(ケミカルシューズ)の製造業を営んでいた「信誠化学工業所」では、従業員として常傭、貼工(「請取者」ともいわれ、出来高払いで賃金の支払を受けていたもの)及び時間給臨時者(「パート」と呼ばれ、時給制で賃金の支払を受けていたもの)の三職種があつたこと、(2)本件査察に伴う帳簿類の差押により、昭和五〇年度、五三年度の各給料帳及び工賃明細書、昭和五〇年七月分以降のタイムカードを領置し得たこと、(3)信誠化学では、常傭の従業員に対する源泉徴収税を事業主たる被告人の負担で支払つていたこと、(4)信誠化学の常傭従業員については、毎年三月に昇給が実施されていたこと、以上の事実が認められる。

そこで、昭和五〇年ないし五二年分の給料賃金(いわゆる「請取分」を含む。)の支給実績の算出に関する原判決の認定の当否を順次考察する。

1  まず昭和五〇年分を見ると、同年における支給実額については、前記のごとく実際に支払つた額を認定するのに必要な直接的資料(給料帳、工賃明細書等)がすべてそろつているのであるから、特段の事情がない以上は、右資料にもとづいて同年分の給料賃金支給額を明らかにするのが相当である。

所論は、右給料帳に関し、被告人が支給対象者の源泉徴収税額を少なくするため適宜調整して記載した部分があるので、給料帳の記載をもつて実支給額と断定するのは誤りである旨主張するが、被告人は査察調査の段階で前記資料を示して供述を求められた際、これら資料の正確性を認めており(検甲四三号等参照)、タイムカードによつて窺われる各従業員の稼働状況と対比しても右資料の記載をもつて支給実額認定の証拠とするのを妨げる事情のないことが明白であるから、所論には左袒しがたく、結局のところ前記物証にそつて昭和五〇年分の給料賃金の支給額を確定するとともに、被告人の供述どおり、常傭従業員に対する源泉徴収税を被告人が負担したものと認め、これを簿外経費として認容した原判決の証拠判断は相当である。

2  次に、昭和五一年分についてみると、同年分の場合は五〇年分と異なり、支給した給料賃金の実額を認めるに必要な直接の資料がないので、前記五〇年度及び五三年度の給料帳等で明らかにし得る両年度の実支給額を基礎としたうえ、査察調査の段階における被告人の供述にしたがい各従業員別の昇給状況を参酌し、あわせてタイムカードに示される従業員の稼働状況と矛盾しないことを確かめるという手法で、常傭従業員に対する支給額を推認するのが相当であると思料される。なお、請取分(貼工賃)に関しては、昭和五〇年度の売上金額及び請取分支給額を確定できるところ、その対応比率(すなわち、昭和五〇年では売上金額に対する請取分の割合が三・四九パーセントとなる。)を算出し、五一年の売上金額(一億四九七二万九四一四円)に百分の三・四九を乗じて得た額を五一年に支給された貼工賃と推計するのが合理的である。

右のような推計計算の方法は、本件において検察官の採用したものであり、原判決もこれにしたがつたものと解されるところ、これら推計の過程。結論に合理的な疑問をさしはさむ余地があるとは認めがたい。

所論は、昭和五一年度の貼工賃が原判決認定の額程度であつたとすると、同年度におけるケミカルシューズの製造足数と対比し、あまりにも少額に過ぎる旨主張するけれども、本件で貼工賃の額を推計するにあたつては証拠上客観的に確定できる売上金額と照合するのが妥当かつ合理的であるというべきである。更に、所論が具体的に主張する昭和五一年、五二年度の各貼工賃の額と総売上金の上昇比率とを見くらべた場合、売上金はおおむね一億五、〇〇〇万円前後で横ばいの状況にあるのに、五一、五二年の貼工賃は昭和五〇年に比較し異常なまでの上昇を見せるなど理解に苦しむことを否定しがたい。

3  最後に昭和五二年分について見ると、支給実額を認定する直接的資料のないことは五一年の場合と異ならないものの、前記のように昭和五三年分の支給実額を明らかにする物証があり、これによつて、五二年三月以降の支給額を確定できるとともに、一方、前判示のごとく給料帳等物証のそろつている五〇年分の支給額と昇給率とを総合すれば、五二年一、二月分の支給額も判明するという関係にあるから、これらの関係に着目したうえ五二年分の支給実額を算出したと解される原判断は相当であり、その推論の過程に合理性を欠くところがあるとは考えられない。また、貼工賃に関しては、原判決が採用したと解される推計方法、すなわち前同様五二年の総売上金の額に百分の三・四九を乗ずるという算出根拠に十分な合理性を認めることができる。一方、所論の主張する五二年度貼工賃の額が同年度を含む三年間の売上金額の推移と符合せず、これを採用できないことは、五一年の部分で説示したとおりである。

4  以上述べたように、給料賃金関係の原判決の認定はいずれも首肯するに十分であるところ、所論は、従業員作成の確認書を根拠に、原認定を論難しているので、この点について考察する。

たしかに、所論採用の確認書によれば、実際に支給を受けた各従業員の給料等の金額が原判決の認定額を上まわるものであつたと窺わせるかのようであるが、これら確認書の作成経過を検討すれば、被告人自身査察調査の過程において、被告人の記憶のみにもとづき、なかば一方的に起草した文書を従業員に示しこれに押印させた事実を自認しており、しかも客観的な裏づけに乏しいこと等に照らすと、その信びよう性には重大な疑問が残るといわざるを得ず、所論はこれを容れることができない。

三  昭和五〇年分期首たな卸について

所論は、昭和四九年末当時には、いわゆる石油ショックの影響にもとづく打撃を軽減するため特に大量に仕入れた材料の残存・蓄積があつたのにかかわらず、原判決は右のような事情を看過し、その結果昭和五〇年期首たな卸高の認定を誤るに至つたものである、と主張し、主に岩垣幸男の原審証言等にそつて、本底、オットセイ(毛皮)、ナイロンツイル等の在庫量、単価等をとりあげ、原認定を論難している。

そこで、関係証拠を調査検討するに、被告人の場合、昭和四九年末には実地たな卸を行なつていないため、同時期の在庫関係を確認する物証等直接的な証拠資料がなく、推計計算の方法を用いるほかなかつたものであるが、本件査察調査の過程でなされた推計には合理性を認めるに十分であり、これに従つた原審の認定判断に所論のような誤りがあるとは考えられない。

以下、所論の具体的な主張に即し検討する。

1  本底について

関係証拠によれば、被告人は、査察開始の当初、昭和四九年末当時の本底の在庫分につき約三、〇〇〇万円というぼう大な金額を主張し、その主張に従うと昭和五〇年には本底の期中仕入がほとんど皆無という不合理な事態を是認せざるを得なかつたところから、査察官側では、本件で収集された物証を仔細に検討したすえ、昭和五〇年一、二、三月及び一二月分の本底仕入金額を把握したほか、本底の唯一の仕入先であつた星稜プレスに対し、昭和五〇年中にもほぼ毎月本底の原材料を納入しその加工を発注していた事実をも確認し、更に、直接的な資料によつて明白な昭和五一、五二年分の各総仕入金額と本底仕入金額とにもとづき、本底仕入金額の占める割合を算出したこと、一方、本底の仕入単価については昭和五一年末の一足あたりの仕入価格一二二円が資料によつて明らかにされているので、これを採用して最終仕入原価法によることとし、なお、本底以外の材料の仕入金額の反面調査を実施した結果をも参酌したうえ、本底についての昭和五〇年期首たな卸分の数量が二万三四足分で、その金額が二四四万四、一四八円であると判定したこと、以上のような事実が認められ、これら推計の過程・結論は妥当かつ合理的なものということができる。

これに対し、所論にそう岩垣幸男の原審証言によれば、昭和四九年末には九万六、〇三六足分の本底の在庫があつたというのであるが、これが事実であるとすると、同証人も認めているとおり、右在庫量は昭和五〇年、五一年の各一年間の本底の総仕入れ数量をも上まわるなど納得しがたい結果を容認せざるを得ないのであつて、同証人の供述にあらわれた星稜プレス側の事情、あるいは所論の強調する石油ショックの余波をまぬがれるための自衛策を必要としたという状況などを勘案しても、右岩垣の原審供述は採用しがたい。

2  オットセイ(毛皮)について

関係証拠によれば、被告人側は本件査察の際、所論指摘のオットセイ(毛皮)の単価につき山岡商店から八〇〇円で仕入れたことがある旨を主張したので、査察官において同商店に対する調査を行なつたところ、被告人側の主張を認めるに足る事実を確認し得ず、一方、石田毛皮店からの最終仕入価格が六五〇円であることを調査把握したので、これを採用したという経過が認められる。したがつて、オットセイ(毛皮)の単価を六五〇円であるとしてなされたたな卸高の算定は相当であり、これに依拠した原判決の認定に誤りがあるとは考えられない。

3  ナイロンツイルについて

関係各証拠によつて明らかなごとく、本件では、犯則嫌疑者(被告人)側が最終仕入原価法にもとづいて計算する手法をとつているところ、査察官の調査結果に徴すると、弘吉商事提出の確認書によるナイロンツイルの最終仕入価格は二二五円(単価)と認められる。これに対し、所論は、一部単価二八〇円で仕入れたものがあることを考慮していない、というのであるが、その主張は最終仕入原価法と矛盾することが明らかであるから採用できない。

以上のほか、昭和五〇年期首たな卸高の算定につき証拠関係を調査検討しても、原判決に事実誤認の疑いがあると思料される事情は見あたらない。

四  接待交際費について

所論は、昭和五〇年ないし五二年分を通じ、接待交際費として毎年平均約五七九万円の経費を支出しているのにかかわらず、これを大幅に下まわる額を認容したにとどまる原判決の認定には誤りがある、と主張する。

そこで、関係各証拠を調査検討するに、被告人は本件の査察が開始された昭和五三年七月当時接待交際関係の簿外経費はほとんどない旨述べておりながら、その後毎年八〇〇万円前後の支出があつたと主張するに至り、これを裏付ける資料として一部取引先の確認書・証明書を査察官に提出したという経過が認められるところ、これら確認書等は被告人側において明確なデータもなく過大な接待をした旨を記載した書面を作成したうえ、各取引先に送りつけて押印を求めるなどの方法で入手したことが明らかである(検甲一二〇号ないし一二四号等参照)。

一方、本件では各年分の接待交際費の実額等を認定する直接的な資料がきわめて不完全であるため、査察官側においては、昭和五三年七月以降一〇月までの実際の接待交際費を調査し、これを基礎として年間の費用を推計するという手段をとり、被告人もまた右のような算定方法が合理的で妥当であることを認めていたものであつて(検甲四七号等参照)、右推計に依拠して接待交際関係の経費の額を認定した原審の証拠判断は相当というべきである。

なお、被告人は、右調査対象とされた時期には本件査察に応対する必要上接待交際関係に手をまわす余裕が乏しく、その費用が常時に比較して少なかつたと述べているが、右調査の時期においても従来同様の形態で事業を継続していたことは証拠上明らかであるのみならず、右のごとき推計を了解していた被告人において、特に接待関係の支出を手びかえたと窺われる事情もないのであるから、被告人の供述を採用することはできない。

五  旅費交通費について

所論は、旅費交通費関係の簿外支出額について、原判決の認定に誤りがあると主張する。

そこで検討するに、関係証拠によれば、本件では旅費交通費の実額を確認し得る直接的資料がなく、わずかに、タイムカードにより昭和五〇年八月から一二月まで及び同五一年分の真治靖享の出張先・出張日数を把握できたに過ぎないところから、右タイムカードに査察段階での被告人の供述を総合したうえ、比較的遠方の取引先のもとに出張し得意先との折衝にたずさわつていた営業部門の責任者(右真治及び同人が昭和五二年五月に退職したのちの後任者)の出張日数をわり出し、一方、日当(出張に際して支給される費用の一日あたりの金額)については被告人の供述(昭和五〇年分は一万二、〇〇〇円、同五一年、五二年分は各一万五、〇〇〇円)を全面的に採用したうえ、いわゆる「地方出張費(泊を伴うもの)」の額を推計したこと、次に、宿泊を伴わない関西地方への出張費に関しては、何らの物証もないものの、売掛金の回収成績の不良な取引先等に岩垣幸男ら数名の従業員が出張している事実が認められたため、信誠化学工業所の売上先件数及び被告人の供述にもとづいて出張費用を推計し、なお、検察官の取調の結果に照らして若干の修正を加えたこと、更に、被告人自身の出張に伴う費用の算定に際しては、信用に値する裏付け資料に依拠したうえ昭和五〇年分の費用を確定するとともに、これをもとに同五一年、五二年分の支出額を推計したことがそれぞれ認められる。

そして、右のような推計の資料の正確性及び推計方法の合理性を検討するに、査察・捜査の過程における被告人ないし岩垣らの申立・供述の内容がひろく尊重されているのみならず、信誠化学の営業規模、得意先の分布状況、取引件数等客観的な間接事実との照応が十分尽くされていること等に徴し、確度、合理性いずれの点にも疑いをさしはさむ余地があるとは考えられず、検察官の主張にそう事実を肯認した原認定は相当であつて所論は採用できない。

六  減価償却について

所論は、減価償却費に関する原判決の認定、特にその算出の根拠となる鉄筋工場及び電気設備の取得価額の認定に誤りがあると主張している。

そこで検討するに、原判決は、所論指摘の鉄筋工場及び電気設備の各取得価額については、被告人の主張にそう確認書のあることを認めつつも、これら書面の作成されるに至つた経緯に徴し、その内容の信用性は肯定しがたいとする一方、本件査察とは無関係の時期に提出されていた工事施行者の見積書に関しては、その証拠価値を一概には否定できないとしたうえ、見積金額の枠内で取得価額を肯認していることが明らかである。

一方、被告人の主張する昭和四五年七月の鉄筋工場増設にかかる工事費用の額ないしこれに附随する電気設備取得の価額は、増設前の建物の取得価額及び建物の総取得額と比照してあまりにも高額に過ぎて不自然・不合理であり、更に、前記確認書は被告人の要請にもとづき松山工務店及び東洋電気工事商会がいずれも被告人の申出にかかる額の正否を確かめないまま押印するなどの経過で作成されたことが証拠上窺われるのであるから、結局のところ、客観的な裏付けを伴う見積額の限度で被告人の主張を採用した原審の証拠判断は相当であり、所論は採用できない。

所論はまた、電気釜及び貼台の減価償却を認めなかつたとして、原判決の認定を論難するが、原審及び当審の審理の過程にあらわれた全資料を精査しても、所論を支持、補強するに足るだけの客観的な証拠を見出すことができない。

七  退職金について

所論は、金井こと五歩市寿男に対して昭和五一年に支給された退職金の額につき原判決の認定に誤りがあると主張するが、右額の認定については被告人の査察段階の供述をそのまま認容したものであり(検甲四七号参照)、所論の援用する確認書は、これまで他の勘定科目の部分で説示した確認書と同様に、その信用性を認めがたく、原判決の認定は相当で、所論は採用できない。

第二法令の解釈適用に誤りがあるとの主張について

一  論旨は要するに、「原判決は青色申告の取消益を昭和五〇年以降にまでさかのぼつて犯則所得に加算するとの法解釈に依拠している。しかし、行政処分としての青色申告承認の取消に遡及効が認められている趣旨目的に徴すると、右取消に伴う制裁は行政上の課税処分の限度で十分であり、刑事処分の領域にまで右同様の遡及効を認めることは許されないと解するのが相当である。更に、所得税法二三八条一項は逋脱が既遂に達した場合のみを処罰の対象としていることが明らかであるから、右既遂の時点にはいまだ存在せずその後に発生した取消益をも犯則所得として取扱うことは許されないというべきである。したがつて、青色申告の取消益を犯則所得に加算し得るとの見地に立つ原判決には、法令の解釈適用を誤つた違法がある。」というのである。

二  しかしながら、所論の理由がないことについては、原判決が「弁護人の主張に対する判断」の二「青色申告の取消益について」と題する部分で適切に説示しているとおりである。

なお、原判決の見解は、昭和四九年九月二〇日最高裁第二小法廷判決(刑集二八巻六号二九一頁)をはじめとする一連の判例にそうものであつて、これら判例に示された法解釈を変更すべき格別の理由があるとは考えられないので、所論は到底採用することができない。

第三量刑不当の主張について

所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調の結果をもあわせて参酌して検討するに、原判決が「量刑の事情」と題する部分で説示するところは、当裁判所においても首肯するに十分であつて、本件犯行の動機、態様、逋脱税額及び同種事犯に対する量刑の動向との権衡等にかんがみると、所論のうち肯認し得る諸事情を十分考慮にいれても、被告人に対し、懲役一年(二年間執行猶予)及び罰金九〇〇万円(換刑率一日・二万円)を言い渡した原判決の科刑はやむを得ないものというべく、所論は排斥を免れない。

よつて、刑訴法三九六条にしたがい主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 萩原寿雄 裁判官 角谷三千夫 裁判官 菅納一郎)

昭和五七年(う)第一七一号

○ 控訴趣意書

所得税法違反

被告人 大塚忠雄

右被告事件につき、昭和五六年一二月二一日、神戸地方裁判所が言い渡した判決に対し、控訴を申し立てた理由は左記のとおりである。

昭和五七年三月一五日

弁護人弁護士 大槻竜馬

大阪高等裁判所第二刑事部 御中

第一点 原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認がある。

一 原判決は、罪となるべき事実として

被告人は、神戸市須磨区常盤町一丁目一番六号において、「信誠化学工業所」の名称で合成皮革靴(ケミカルシューズ)製造業を営んでいるものであるが、所得税を免れようと企て、

第一 昭和五〇年分の実際の所得金額は四、一二〇万五、八二六円であり(別紙第一の1の修正損益計算書参照)、これに対する所得税額は一、八八一万七、二〇〇円であつた(別紙第二の1の税額計算書参照)にもかかわらず、売上金の一部を除外して架空名義の定期預金を設定する等の不正の方法により所得を秘匿したうえ、昭和五一年三月四日、同区衣掛町五丁目二番一八号所在の須磨税務署において、同署長に対し、所得金額が六八三万九、八八八円であり、これに対する所得税額が一一三万五、一〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書を提出し、そのまま法定納期限を徒過させ、もつて不正の行為により正規の所得税額(ただし、源泉徴収税額を差引いたもの)と申告税額との差額一、七五九万二、一〇〇円を免れた

第二 昭和五一年分の実際の所得金額は三、八八二万六、一一四円であり(別紙第一の2の修正損益計算書参照)、これに対する所得税額は一、七五四万二〇〇円であつた(別紙第二の2の税額計算書参照)にもかかわらず、前同様の不正手段を講じたうえ、昭和五二年三月一〇日、前記須磨税務署において、同署長に対し、所得金額が六四四万七、四八九円であり、これに対する所得税額が一〇二万八、七〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書を提出しそのまま法定納期限を徒過させ、もつて不正の行為により正規の所得税額と申告税額との差額一、六五一万一、五〇〇円を免れた

第三 昭和五二年分の実際の所得金額は三、三五三万三、〇四七円であり(別紙第一の3の修正損益計算書参照)、これに対する所得税額は一、四三〇万九、二〇〇円であつた(別紙第二の3の税額計算書参照)にもかかわらず、前同様の不正手段を講じたうえ、昭和五三年三月一五日、前記須磨税務署において、同署長に対し、所得金額が四一五万四、六九六円であり、これに対する所得税額が四六万二、八〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書を提出しそのまま法定納期限を徒過させ、もつて不正の行為により正規の所得税額と申告税額との差額一、三八四万六、四〇〇円を免れた

ものである。

との事実を認定し、右認定の証拠として、

判示全事実について

一 被告人の当公判廷における供述

一 第二回公判調書中の被告人の供述部分

一 証人岩垣幸男及び同篠原滋の当公判廷における各供述

一 第五ないし七回、第一六ないし一八回各公判調書中の証人岩垣幸男、第八ないし一二回各公判調書中の同篠原滋、第一二回、第一三回各公判調書中の同豊田功、第一四回公判調書中の同小川一彦及び第一五回公判調書中の同朝見忠幸の各供述部分

一 被告人の検察官に対する供述調書五通及び大蔵事務官に対する質問てん末書一六通

一 被告人作成の「原価計算書の説明書」(二通)及び「原価計算書の説明及び減価償却費について」と題する各書面

一 渡辺康及び小崎俊爾の検察官に対する各供述調書

一 岩垣幸男(昭和五三年六月二一日付、同年九月一一日付及び同年一二月四日付-第三問を除く)、関宏及び松野寅清の大蔵事務官に対する各質問てん末書

一 国税査察官作成の「調査報告書」と題する書面七通

一 大蔵事務官寺谷雄児(二通)、同篠原滋(同年八月一八日付)、同豊田功(二通)及び同足立実次作成の「査察官調査書」と題する各書面

一 浮田健二、井高寛子、奥田正男、杉本晃、長谷数行、平木伸、藤田時博、門木啓、田辺留秋、福岡忠清及び藤本たつ枝作成の「確認書」と題する各書面

一 小崎俊爾、三宅八郎、小川実、手束久三、須貝正造及び野口一男作成の「供述書」と題する各書面

一 須磨税務署長作成の同年一二月二一日付「証明書」と題する書面

一 押収してある仕入関係証明書一綴(昭和五五年押第三六号の一)、在庫関係計算書一綴(同押号の二)、たな卸関係書類三枚(同押号の三)、在庫関係計算書(修正分)一綴(同押号の四)、売上計算原票一綴(同押号の五)、四九年度支払明細一綴(同押号の六)、五一年度支払明細一綴(同押号の七)、五二年度支払明細一綴(同押号の八)、五三年七、八、九月分請求書(仕入分)三綴(同押号の九)、五二年一二月ないし五三年五月請求書・領収証六綴(同押号の一〇)、五二年請求書・領収 等一三綴(同押号の一一)、仕訳票・仕訳帳一綴(同押号の一二)、単価見積書一綴(同押号の一三)、朝見プレス計算書類一綴(同押号の一四)、(有)成晃化学工業所計算書類一綴(同押号の一五)、信誠化学売上帳四枚(同押号の一六)、信誠化学工業に対する売掛帳八枚(同押号の一七)、信誠化学売上原簿一枚(同押号の一八)、納品書控四綴(同押号の一九)、経費関係書類一綴(同押号の二三)、タイムカード三綴(同押号の二四ないし二六)、五三年六月ないし一〇月請求書・領収証綴五綴(同押号の二七)、(有)赤坂総勘定元帳一綴(同押号の二八)、領収証・請求書一綴(同押号の二九)、五〇年度給料帳一冊(同押号の三〇)、四三年ないし五二年分大塚忠雄所得税申告書控一綴(同押号の三三)、ダイアリー一冊(同押号の三四)、確認書一通(同押号の三八の三)及び見積書二通(同押号の三九の一、四〇の一)

判示第一及び第三の各事実につき

一 大蔵事務官篠原滋作成の昭和五三年九月一日付「査察官調査書」と題する書面

判示第一の事実につき

一 須磨税務署長作成の同年一二月一三日付「証明書」と題する書面(被告人の昭和五一年三月四日の所得税確定申告に関する分)

一 押収してある五〇年度総勘定元帳(信誠化学)一綴(前同押号の二〇)

判示第二の事実につき

一 須磨税務署長作成の昭和五三年一二月一三日付「証明書」と題する書面(被告人の昭和五二年三月一〇日の所得税確定申告に関する分)

一 押収してある五一年度総勘定元帳(信誠化学)一綴(前同押号の二一)及び五一年度源泉徴収簿一綴(同押号の三二)

判示第三の事実につき

一 須磨税務署長作成の昭和五三年一二月一三日付「証明書」と題する書面(被告人の昭和五三年三月一五日の所得税確定申告に関する分)

一 押収してある信誠化学五二年総勘定元帳一綴(前同押号の二二)及び五三年一月ないし六月給料、工賃明細一二袋(同押号の三一)

を掲記している。

二 しかしながら原判決は、本件査察調査が著しく経験法則を無視したものであることを看過し、かつ立証責任に関する公正な判断を欠き、訴訟進行を急ぐあまり反証活動不十分のままで審理を尽くさず、そのため証拠の価値判断ならびに事案の綜合的判断を誤りひいては判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認に陥つたものである。

以下その理由を詳述する。

1 まず原判決は弁護人の主張に対する判断として調査ないし推計計算の合理性等について次のとおり判示している。

弁護人は、本件において、たな卸高及び簿外経費の確定に関する査察官の調査は、被告人の主張を十分に聞き入れず、また、物証等の検討が不十分であるうえ推計計算の方法も合理性を欠いており、このことはその後検察官の捜査段階で多数の修正がなされていることからも窺知できると主張する。しかし前掲各証拠によれば、本件査察当時、期末、期首のたな卸高及び簿外経費に関する物証等の資料が極めて不完全であつたなどの事情によつて、その金額を正確に把握することが困難であつたため、査察官としては推計計算の方法をもとらざるを得なかつたものであることが認められる。そして、査察官が調査ないし推計計算の根拠とした資料及びその具体的方法は、検察官の指示による修正点を含め、前掲証人篠原滋、同豊田功の公判調書中の供述部分及び国税査察官作成の「調査報告書」と題する書面、大蔵事務官作成の「査察官調査書」と題する書面等によつて明らかであるところ、右調査ないし推計計算は、被告人の捜査当時における弁解をも考慮に入れなされたものであつて前記の経費として追加認容した部分を除き合理性を有すると認められ、それにつき弁護人が主張するような違法があるとは認められない。したがつて、弁護人の前記主張は理由がない。

2 ところで弁護人は原審において本件調査について次のように主張した。

(一) 本件では所得計算における資料が不十分ではあるが、益金を構成する売上除外分の把握は資料によつてすべて明確となつたのに反し、損金を構成する簿外経費については資料不足のためこれを正確に把握することは困難であるから関係者の供述ならびに推定計算によつて確定せざるを得なかつた。

(二) ところで、本件査察調査における推定計算では、平均性を具有せずそのため試料として耐え得ない証拠をもつて母集団を推計するなど(例えば交際費の推定計算において本件査察着手直後で被告人や岩垣幸男が度々国税局などへ呼出しを受けたため客を接待する機会が少く交際費の支出が著しく減少している昭和五三年七月から一〇月までの交際費に関する請求書によつて本件起訴対象年度の交際費の額を推計する方法)推計学の原理を無視した推計が行われたばかりか、被告人や岩垣幸男に対し、事実に関する上申書面を揃えて提出するよう求めて提出された書面につき、所得軽減のため虚偽の書面を作成したと非難を加え、或は提出が時機におくれたと言つて取合わなかつたりするなど異例な措置が散見されるのである。

さらに本件調査では材料の一部について棚卸調査が省略されているし、(この点に関する主張は昭和五一年度品名細目別、販売先別、販売数量一覧表別添五の昭和四九年末在庫、計算表から除外された資材の品目のとおりであるが原審では主張の撤回を求められた。)銀行勘定帳二冊(符三五号、三六号)、支払明細三綴(符六号ないし符八号)等の記載内容と個々の経費の支出との突合わせがなされず、公表上の全経費科目にわたつての検討が省略されているばかりでなく(この点については原審は被告人と岩垣幸男が長時間をかけて作成した原価計算書の説明書を証拠として取調べ原判決にもこれを引用しながら、それについて是非の判断を示していない。)、同業者間の権衡調査が告発後検察官によつて行われている(小川一彦の検面調書)ことも異例である。

(三) そのため本件では棚卸関係について査察官によつて昭和五三年一〇月三一日棚卸高確定調査書類(検甲一九号)同年一二月五日棚卸高補充調査書類(検甲二〇号)が作成されているのに拘らず、その後検察官の取調により昭和五四年二月二三日付検事調に基く修正調書(検甲一二号)が作成されており、また簿外経費についても査察官によつて昭和五三年一〇月三一日付簿外経費の調査書類(検甲二二号)が作成されているのに拘らず、その後の検察官の取調により昭和五四年二月二三日付検事調に基く修正調書(検甲一三号)が作成されるなど検察官の取調によつてかなりの修正がなされたのは当然のことといわねばならない。

而して本件起訴は、訴因第一事実の公訴時効が切迫した昭和五四年二月二七日に行われており、検察官としてはさらに前記銀行勘定帳、支払明細等の記載内容と、個々の経費支出との関係を検討し、簿外経費全般にわたつてこれを正しく把握し査察官調査額を修正するだけの余裕がなかつたため、査察官調査結果が明らかに不合理、非常識と思われるもののみをしかも時間的に可能な範囲内で修正されたに過ぎないものである。

3 原判示は前記のように右の弁護人の主張に対して具体的にこれを排斥する理由を説示することなく、いとも抽象的な表現をもつて排斥の理由としているのである。

所得税法は納税義務者が正確な記録をせず資料を完備しないため、所得額を確定する物的資料が不足している場合、現存資料で明確にできるものだけにしぼつて認容するものではなく、関係者の供述や推定計算を用いて合理性を失わない範囲で事実を確定することを許容しているのである。このことは益金のみならず損金についても同様である。

従つて所得額確定の要素となつている各勘定科目の金額については勿論それが、推定計算によるときはその合理性が認められることの立証責任は検察官に存するものというべきであつて、弁護人がその合理性を争うときは検察官によつて具体的にその理由が示されなければならないものと思料されるが原判示はこれらの点について前記のごとく極めて抽象的な判断しか示していない。

原判決は、各所で被告人の公判供述等の信用性には疑問があると述べているが、被告人は弁護人の助言により体験者としてできるかぎり忠実に自己の記憶を喚起して供述している筈であつて、本件査察調査の当初、被告人は国税査察官から経費関係で資料のない分は相手方から証明書をもらつてくるようにとの指導を受け経費関係書類一綴(符二三号)を提出したが、これについては取り上げられないばかりか国税査察官は被告人に対し「物的証拠の無いものは経費の主張として認められない」と高圧的に申し渡したという事実に徴すると、右のような体験者でない国税査察官の供述を信用し、被告人の公判供述の信用性には疑問があるという原判決の判断は承服し難い。

まして原判決は、被告人の公判供述等の信用性に疑問があると述べながら具体的な摘示を欠いているのである。さらに被告人は調査の途中、大城朝賢税理士(元大阪国税局統括国税査察官)より本件では製造足数が正確に把握できるので押収されている銀行勘定帳支払明細などによつて原価計算をしてもらえば正確な利益が算出できるであろうとの教示を受け、国税査察官にその旨申し出たが相手にされず、また減価償却に関する松山工務店の見積書(符三九の一)東洋電気工事商会の見積書(符四〇の一)のコピーを持参提出したところ「いまごろこんなものを持つて来てもおそい」と言つて握りつぶされてしまつたのである。そして国税査察官は原審第一〇回公判において弁護人より「被告人から右のコピーの提出を受けたことはないか」との尋問に対して、「領置したものならその手続をしている筈である」と答を外らせており、原審第二二回公判で検察官より公訴事実は証明十分なる旨の論告があり、第二三回公判で(昭和五六年一一月一八日)弁護人が弁論を行い、判決宣告期日として一二月二一日が指定されたあとの一二月三日に至つて、篠原滋国税査察官らが松山工務店へ赴き、長時間にわたり「被告人から頼まれて虚偽の見積書等を作つたのでないか」と詰問したため、同人より何も知らない被告人に対し年末多忙の折柄長時間迷惑を受けたと苦情が持込まれて来た事実さえもある。

かように本件調査では国税査察官の独断と、証拠検討の不足、そしてこれをカバーせんとする強弁等が極端に表れているのにこれを擁護する原判決はこれらの実情の認識を著しく欠いているものといわねばならない。

また検察官の修正においても前記のとおり被告人の弁解のすべてを考慮に入れて全面的になされたものとは到底認められないが原判決はその点にも気づいていない。

例えば検甲二五号によれば人件費の実際支給額よりも公表計上額が上廻つているものが多数見受られ、中でも公表上給料賃金が計上されているのに調査額(実際支給額)が零(例えば昭和五〇年分の竹内、吉田昭和五一年分の安福、小松、中野、 昭和五二年分の中野、赤沢)という処理に至つては企業経理の経験と常識とでは到底考えられないことである。然るに原判決はこのような検察官の主張を鵜呑みにしているのである。

4 原判決は、前記罪となるべき事実において本件脱税の不正行為として売上金の一部を除外して架空名義の定期預金を設定した旨認定し、量刑の事情においても「昭和五〇年から五二年にかけて売上の相当部分を帳簿から除外してこれを仮名預金として資金留保などするという巧妙悪質なもの」と判示している。

そして右の売上金の一部を除外した点については、完全に把握されているが、架空名義の定期預金についてはその実態が全く明らかにされていない。

原判決が認定したような実際の所得金額即ち

昭和五〇年分 四一、二〇五、八二六円

昭和五一年分 三八、八二六、一一四円

昭和五二年分 三三、五三三、〇四七円

が、真実であり、かつ原判決が認定するように資金留保をしたというのが真実であれば、須らくこれを裏付けるに足る多額の架空名義の定期預金もしくはこれに代る資産の存在が立証されなければならない。

ところで検察官冒頭陳述書添付の付表六-一及び六-二には近畿相互銀行三宮支店における架空名義定期預金が掲記されているが、いずれも昭和四八年中に預け入れられたもので、本件起訴対象年度における売上除外金から発生したものではなく、原判決が架空名義定期預金によつて資金を留保したというのは証拠に基かない判断である。

かような裏付となるべき資金ないし資産が存在しない実態に鑑みれば、体験者である被告人の供述するいわゆる簿外経費をもつと多く認容せざるを得ないのではないか。

そしてそうすることがこの種事件の所得金額算定の常識と考えられるし、本件のように検察官の主張する損益計算法について多大の疑問のある事案においては財産増減法による験算なくして損益計算書の答をそのまま正当として信頼することは極めて危険である。なお被告人のなした売上の一部除外の主たる動機は所得税の脱税ではなくて簿外経費捻出のためである。

5 弁護人はかような見解から大城税理士の前記原価計算書による所得額算定の見解は、同税理士の多年にわたる経験によるもので尊重すべきものと考え、

(一) 昭和四九年度支払明細一綴(符 六号)

(二) 同 五一年度支払明細一綴(符 七号)

(三) 同 五二年度支払明細一綴(符 八号)

(四) 同 五一年度銀行勘定帳(昭和五三年検領二四三三号符一三号)

(五) 同 五二年度銀行勘定帳( 同 符一四号)

(六) 同 五三年度金銭出納帳(符三七号)

等を資料として被告人及び岩垣幸男の両名に対し記載事項に従つて忠実に原価計算書を作成するよう命じその結果作成された原価計算書及びその説明書とともに右証拠物の取調を求めたのであるが、原判決はこの労作と真価を無視し、右のうち(四)ないし(六)の証拠物は判決中の証拠の標目にも引用されていない。

6 被告人は、いわゆる石油ショック以降、倒産の続出する不況の業界の中で喘ぎながら企業努力をなし漸く難関を切り抜けて来たもので、これは被告人が不況に入る前に多量の材料を買込んで蓄積していたことと、他にビルの賃貸による不動産所得があつたおかげである。

原審で検察官が同種業者との比較のため申請した証人小川一彦の証言によれば、被告人の事業よりも若干小規模ではあるが著しく経費を節減している小川ゴム工業所の昭和五二年分の申告所得額は僅かに約三五〇万円であつたことが明らかである。

原判決が被告人の実際所得額と認定した金額から争いのない不動産所得及び利子所得を差引いたいわゆるケミカルシューズのみの事業所得を算出すると、

昭和五〇年分 二九、〇〇八、九〇六円

昭和五一年分 二六、二四七、八八〇円

昭和五二年分 二〇、七四一、六二三円

となる。

これらと前記小川ゴム工業所の昭和五二年分の申告所得額約三五〇万円を単純に比べただけでも原判決の実際の所得金額の認定が如何に現実ばなれをした無暴なものであるかが極めて明らかである。

況して被告人の経営する信誠化学工業所は小川ゴム工業所と異り製造品種約一六種に対し約四〇種、研究品費約一五足分に対し約三〇足分、見本品約五〇〇足(半額徴収)に対し約三、〇〇〇足(無料)、販売先数約三〇社に対し約一五〇社、組合未加入、展示会不参加に対し組合加入、展示会出品など経費の面において格段の相違がある。

被告人と岩垣幸男が作成した原価計算書を纒めると別添一、二のとおり昭和五一年、昭和五二年ともケミカルシューズの製造では利益が出ていない。

弁護人は原審において裁定合議決定後、全く新しい構成となつたばかりであるのに結審を急がれる気配であつたから、せめてケミカルシューズ業界における中小企業者の経営の実態、特に石油ショック以後における状況について直接聞いて頂くべく日本ケミカルシューズ工業組合の肥後已一郎の証人尋問を強く望んだが、原審は必要なしとしてこれを却下したのである。

7 以上要するに原判決は、基本的に本件調査の実情についての認識と立証責任に関する公正な判断を欠いているものというべく、従つて弁護人の主張に対する判断においても具体的な理由説示を避けているものであつて、原価計算書作成のため真剣に長時間を費やした被告人としては原判決を読んで全く徒労に終つた感を禁じ得ないのである。

三 事実誤認の内容

1 前記のごとく被告人は、自己の事業のうち、ケミカルシユーズの製造販売面においては、利益はなかつたものと思つており、そのことは被告人と岩垣幸男が作成した原価計算書及びこれを集約した昭和五一年分及び昭和五二年分の各品名、販売価格、原価、利益一覧表(別添一、及び二)によつて明らかである。

2 ところで原判決は、前記のように右の原価計算書を黙殺し、検察官冒頭陳述書添付の修正損益計算書を基本とした修正損益計算書を作成して被告人の所得額を認定しているので以下その中で特に顕著な誤認について順次述べることとする。

3 給料賃金に関する事実誤認

(一) 総論

給料賃金の支給の対象者は、常傭、時間給臨時及び貼工(検察官はこれを請取分と称している)に分けられるが、被告人が原審公判廷で供述しているように、被告人の業態は所得税の源泉徴収を厳格にすると、労働者を得ることができないような業態であるために、支給額全額を公表に計上しないでその一部を計上していたばかりでなく、源泉所得税を事業者たる被告人が負担していたのである。

従つて公表上支給額が計上されているのに実際支給額が零というようなことは絶対にあり得ないことである。さらに貼工賃については、品種ごとに一足当りの工賃が定められており、昭和五一年分及び昭和五二年分は品種ごとの製造足数が明確に把握できるからこれらによつて実際に支払われた貼工賃の計算は極めて容易であるのに原判決は、これよりも遥かに低額な査察官調査額(検甲二五号による)を鵜呑みにしているのである。

なおここで付言したいことは、検甲一二、一三、一九ないし二二、二四ないし二六の各査察官調査報告書もしくは査察官調査書類については、いずれも原審において弁護人は当初証拠とすることに同意しなかつたが、各作成者にこれらを示し、争点に関する尋問を終えた後の第一九回公判において証明力を争う旨の意見を付して同意したものであつて単純に同意したものではない。

控訴審において証拠関係カードの謄写により単純同意となつていることを初めて発見した次第であるが、訴訟の経緯に鑑みても単純に同意できるものではなく、他の証拠と綜合的に検討して頂くために同意したもので全面的に証明力の争いを放棄したものでないことを御了承賜りたい。

(二) 昭和五〇年分給料賃金(請取分を除く)について

昭和五〇年分の給料賃金(請取分を除く)について原判決の認定額と弁護人の主張額を対比すると次表のとおりであつて、原判決認定額一二、六九一、三五四円は誤つており、一五、七九九、八八八円が正当である。

昭和五〇年分給料賃金(請取分を除く) ※印は公表計上額よりも少く認定したもの

<省略>

<省略>

符二三号(経費関係書類)の中に編綴されている岩垣幸男・真治靖享・大当晴康・五歩市寿男・岸和子の各確認書、符二四号ないし符二六号(タイムカード)符三〇号(給料帳)によれば弁護人主張額が正当であることが極めて明らかであつて、検甲二五号の査察官調査書にはそれ以上の証明力は到底認められない。

(三) 昭和五一年分の給料賃金(請取分を除く)について

昭和五一年分の給料賃金(請取分を除く)について原判決の認定額と弁護人の主張額とを対比すると次の表のとおりであつて原判決認定額一二、七六〇、八五四円は誤つており、一五、二八四、四六一円が正当である。

昭和五一年分給料賃金(請取分を除く) ※印は公表計上額よりも少く認定したもの

<省略>

<省略>

当年分についても符二三号中に編綴されている岩垣幸男以下常傭者の各確認書、符三二号(源泉徴収簿)符二四号ないし符二六号(タイムカード)等によれば、弁護人主張額が正当であつて、これと異る原判決の認定は明らかに誤つている。

(四) 昭和五二年分の給料賃金(請取分を除く)について

昭和五二年分の給料賃金(請取分を除く)について原判決の認定額と弁護人の主張額とを対比すると次の表のとおりであつて、原判決認定額一四、二四八、七七〇円は誤つており、一八、〇七九、三六五円が正当である。

昭和五二年分給料賃金(請取分を除く) ※印は公表計上額よりも少く認定したもの

<省略>

<省略>

当年分についても、符二三号中に編綴されている岩垣幸男以下常傭者の各確認書、源泉徴収簿、タイムカード等によれば、弁護人主張額が正当であつてこれと異る原判決の認定は明らかに誤つている。

(五) 昭和五一年分の請取分の賃金(貼工賃)について

昭和五一年分の請取分の賃金(貼工賃)は、次表のとおり一二、〇四八、二〇〇円であるのに、原判決は五、二二五、五五六円と誤つた認定をしている。

昭和五一年分請取分(貼工賃)但し見本品の貼工賃を除く

<省略>

<省略>

被告人が昭和五一年中に一一八、一八五足を製造していること及びこれに貼工賃が支払われていることは動かすことのできない事実であつて、原判決が認定した貼工賃(請取分)五、二二五、五五六円では前記一一八、一八五足の製造が不可能であることも明らかである。

さらに右五、二二五、五五六円の認定額が公表計上額五、五九一、九九〇円よりも少額であることはあまりにも常識に反するばかりでなく、前記弁護人の主張額は控え目で見本品約三、〇〇〇足(見本品の貼工賃は製品の二倍の額が支払われるのが通例である。)の貼工賃は計算に入れていないのである。

(六) 昭和五二年分請取分の賃金(貼工賃)について

昭和五二年分の請取分の賃金(貼工賃)は次表のとおり一一、一二四、三三五円であるのに、原判決は五、四一七、九〇三円と誤つた認定をしている。

<省略>

<省略>

被告人が昭和五二年中に一〇二、一一七足を製造していること及びこれに貼工賃が支払われていることは前年と同様に動かすことのできない事実であつて、原判決が認定した請取分(貼工賃)の賃金五、四一七、九〇三円では前記一〇二、一一七足の製造が不可能であることも明らかである。

この年分についても原判決は公表計上額六、六四六、〇七〇円よりも少額の五、四一七、九〇三円という常識に反する額を認定しているばかりでなく、前記弁護人の主張額は控え目で見本品約三、〇〇〇足の貼工賃を計算から除外しているのである。

(七) 昭和五〇年分の請取分の賃金(貼工賃)について

昭和五〇年分の請取分の賃金(貼工賃)は一一、七八四、三七〇円が相当であるのに原判決は、五、二四一、六七八円と誤つた認定をしている。

右一一、七八四、三七〇円の算出根拠は次のとおりである。

<省略>

勿論右の計算には見本品の貼工賃が除外されていることは他の年分と同様であるとともに、原判決の認定額五、二四一、六七八円が常識に反するものであることはいうまでもないところである。

4 昭和五〇年分期首棚卸について

(一) 総論

昭和五〇年分の期首即ち昭和四九年一二月三一日現在には被告人が、昭和四八年一〇月、中東戦争勃発後に発生したいわゆる石油ショックの時期に諸資材の入手不足になることを見越して大量の本底その他の材料を仕入れこれを蓄積していたものが多量に残存していて、昭和五〇年における製品の材料となつたため、材料仕入れが手控えられたことは被告人及び証人岩垣幸男が原審公判廷において供述するところであり、この供述は当時巷間において灯油やトイレットペーパー・洗剤等が買い占めされたという事実に鑑みても十分措信できるところである。

このようなことは原判決がとりあげなかつた「昭和四九年末在庫計算表から除外された資材の品目」(別添三)についても同様である。

而してこの期首在庫については、岩垣幸男が査察官及び検察官に縷々説明をして計数的な検討調査が重ねられたが、同人が原審で供述するように本底、オットセイ、ナイロンツイル、F柄、格子柄裏地については末調整のまま起訴に持込まれたものである。

(二) 本底について

本底に関する争点は次のとおりである。

<省略>

弁護人主張の九六、〇三六足は、原審第七回公判において証人岩垣幸男が諸種の資料に基いて供述するとおりであつてこれを要約すると次のとおりであり、原判決の認定は誤つている。

<省略>

<省略>

なお単価については岩垣証人が原審で供述しているように塗装加工賃一足分三〇円であつたから最高一足二一〇円、最低一足八五円から推定によつて計算した一五〇円が相当であつて、原判決認定の一二二円は実体を無視したものである。

(三) オツトセイについて

オツトセイについては数量の争いはなく、単価について原判決は弁護人の主張する一足八〇〇円(合計七、九九〇、四〇〇円)を排斥し、検察官主張の六五〇円(合計六、四九二、二〇〇円)を採用したが、六五〇円は原審証人岩垣幸男が供述するように本件在庫にかかるオットセイ毛皮を仕入れる以前の仕入分の単価であつて、本件の在庫品は、その後価格急騰のため当時の仕入価格より少しでも廉価にて仕入れたいと思い原皮を買つて石田毛皮店で切断加工してもらつたものであるから八〇〇円が相当であつて、六五〇円という原判決の認定は明らかに誤つたものである。

(四) ナイロンツイルについて

ナイロンツイルに関する争点を表にすると次のとおりである。

<省略>

ナイロンツイルについては右のごとく数量については争いはなく、原判決認定額と弁護人主張額との差異は単価の相違から生ずるものである。

単価については岩垣幸男が原審第七回公判で供述しているように、昭和四九年一二月三一日現在における在庫のうち、同年一二月九日、弘吉商事(株)から仕入れた五〇七〇メートルについては単価二二五円であつたが、その余の分は同日以前にいずれも右よりも高い単価で仕入れたもので、その平均単価は二八〇円とみるのが相当である。

岩垣幸男の右供述は奥田正男の確認書(記録第九一二丁以下)に基くものであつて十分に措信することができる。

原判決は右の実態を無視して、前記一二月九日の仕入単価を一律に適用したものであつて明らかに事実を誤認したものである。

(五) F柄格子柄裏地について

F柄格子柄裏地に関する争点を表にすると次のとおりである。

<省略>

F柄格子柄裏地については単価を一一〇円とみると数量において一、七一一メートルの計上洩れとなることは原審第七回公判における岩垣幸男の供述によつて明らかであり、これを無視した原判決は誤つている

5 接待交際費について

接待交際費に関する争点を表にすると次のとおりである。

<省略>

接待交際費の内容については、被告人が原審で自己の作成した「昭和五六年八月一七日付原価計算書の説明」(記録一、四一六丁以下)の5、交際接待費に関して供述しているとおりである。

右の内容は被告人が弁護人の助言により、できる限り記憶をたどつて正確を期したものであつて検察官によつて修正された接待交際費の内容よりも具体的で措信し得るものである。

なお関宏(記録一、〇七八丁以下)小川実(記録一、〇八六丁以下)手束久三(記録一、〇九二丁以下)須貝正造、野口一男の各供述書は原審において証明力を争つたうえ証拠とすることに同意しているが、これらの供述内容は正しいものではなく被告人は現在もこれらの人々に製品を買つてもらつている関係上、やむなく同意した次第である。

6 旅費交通費について

旅費交通費の争点を表にすると次のとおりである。

<省略>

旅費交通費の内容については、被告人が原審で自己の作成した前記「昭和五六年八月一七日付原価計算書の説明」の9旅費交通費に関して供述しているとおりである。

右内容についても、被告人が弁護人の助言によりできる限り正確を期して作成したものであつて原判決認定額の根拠よりも具体性に富み、信用性が高い。

7 減価償却について

(一) 簿外資産の減価償却に関する争点を表にすると次のとおりである。

(各年共通)

<省略>

(二) 鉄筋工場・電気設備につき被告人の追加工事があつたという説明ならびに見積書(符三九の一)には別途工事の記載がなされていること、東洋電気工事商会の金額八〇万円の領収証(符四〇の二)には別工事分の記載があること、を考慮することなく取得価額を認定することは常識に反するものである。

(三) 百歩を譲つて、かりに昭和四五年七月における鉄筋工場の取得価額が原判決認定どおりとしても、その認定額から昭和四四年四月に取得した鉄筋工場の取得価額を差引いたうえ、減価償却額を算出した原判決は明らかに計算の誤りを犯している。

(四) 原判決は電気釜と貼台の減価償却については判断を示していないので結局はこれを認めていないことになるが、これらを認めないことは明らかに事実誤認である。

8 退職金

原判決は、昭和五一年分の金井こと五歩市寿男に対する退職金を検察官主張のとおり三〇〇、〇〇〇円と認定しているが、経費関係書類(符二三号)に編綴されている同人作成の確認書によれば同人は、昭和五一年五月退職金四五〇、〇〇〇円の支給を受けていることが明らかであるから原判決はこの点において事実を誤認したものである。

9 むすび

以上、原判決書添付の修正損益計算書の勘定科目のうち特に顕著な誤認について記述したが、さきに述べたとおり、右修正損益計算書は検察官冒頭陳述書添付の修正損益計算書を基本としているものであり、しかも同修正損益計算書は、支払明細・銀行勘定帳等によつて克明な支出経過を把握したうえ、原価計算との対比による検討を加えることなく、作成されたものであるから実体と著しく乗離するものである。

被告人が原審以来原価計算書によつて供述しているごとく、ケミカルシューズの製造販売面においては利益はなかつたのであつて、さきに列挙した幾多の事実誤認はその情況となるものであり、被告人の右の主張は財産増減の面からも崩すことができないものである。

原審において国税査察官が証言するように、もし損益計算法による利益と財産増減法による利益との間の不突合が僅少であり、しかも財産増減法による利益が多いというのであれば(篠原国税査察官は第一〇回公判で損益計算法による利益が二~三〇〇万多かつたと述べたあと第一一回公判で財産増減法による利益の方が多かつたと供述を変更している。)検察官は被告人の原価計算書による前記主張を崩すため財産増減法の主張立証をなし得た筈である。

然るに原審において検察官からは被告人の右主張立証に対しては何の反論もなされないまま結審されたので、弁護人は専ら右主張に対する原審の精確な判断を期待していたのであるが何らの判断もなく素通りに終つているのである。

第二点 原判決には、判決に影響を及ぼすべき法令の解釈適用の誤りがある。

一 原審において、弁護人は青色申告の取消益について次のとおり主張した。

1 被告人はかねて、所轄須磨税務署長より青色申告の承認を受けていたものであるが、昭和五三年一二月一九日、同税務署長より、所得税法一五〇条一項に定める取消事由により、昭和五〇年度分以降の青色申告の承認を取り消され、そのため次のように青色特典を喪失しその取消益がさかのぼつて計上され、課税標準に加えられた。

訴因第一ないし第三関係

専従者給与 各七二〇、〇〇〇円

青色申告控除 各一〇〇、〇〇〇円

そして検察官は、右の訴因第一ないし第三の合計二、四六〇、〇〇〇円に及ぶいわゆる取消益を犯則所得と主張し、それによる所得税額の増加分を逋脱税額に算入している。

2 しかしながら、検察官の右の主張は、以下に述べるとおり明らかに法律の解釈適用を誤るものである。

(一) 青色申告の制度は、一定の帳簿の記録を備えた納税者に対しては、青色の申告用紙を使用する申告を認め、この青色申告者に対しては、その帳簿記載を調査し、これに誤りがある場合に限り更正することにし、かつ推計課税を認めないこと、更にこの青色申告を助長するために、所得計算上必要経費に算入できる引当金準備金・特別償却金等を認め、青色申告でない申告、いわゆる白色申告をする者に対してはこれを認めないこととするシヤウプ勧告によつて創設されたものである。

而して所得税法一五〇条一項による青色申告承認の取消は、所轄税務署長による裁量処分に属し、この処分には、他の行政処分の場合と異り特に遡及効を認められているが、その理由は、青色申告者が仮装隠蔽行為をなした場合にはその更正にあたつて前記のような青色申告者に対する更正の特例による煩瑣な手続をとることができないので、遡つてその承認を取消すことによつて白色申告に引き戻し、簡略な白色申告者に対する更正手続で処理できるよう配慮したことに存する。

而して右取消処分によつて青色申告者は、単に前記青色申告者に対する特典のすべてを遡つて喪失するばかりでなく、過去において青色申告者の義務としてなした帳簿書類の整理保存等の負担行為は全く無に帰してしまうのであるから、その処分は懲罰的内容をも包含しており行政上の処分としての範囲で十分に目的を達しているのである。

従つてその処分の効力は特別の立法措置を講じないかぎり罪体を遡及して拡張したり、既遂罪の構成要件に予備未遂などをも含めたりするなど刑事の実体法や手続法の規定にまで影響を及ぼすことはあり得ないのである。

青色申告承認の取消が裁量処分であつて、覊束処分でないことは同じ取消事由がありながら右処分を受けた者と受けない者との間に著しい不公平があるばかりでなく、取消を受けた者の特典喪失分がいわゆる犯則所得と認められることになればその不公平は一層著しいことになる。

(二) 所得税法二三八条一項は偽りその他不正の行為により各所定の所得税の額につき所得税を免れたことをもつて犯罪の構成要件とするものである。

而して本件公訴事実は、訴因第一につき昭和五一年三月四日、訴因第二につき同五二年三月一〇日、訴因第三につき同五三年三月一五日をもつてそれぞれ犯罪成立の時期としているのである。

ところで、右各犯罪成立の時点(納期説に従うとしても各年三月一五日)では、所得税の額の中には、青色申告承認取消による特典喪失分は存在していないので、この分の租税債権に対する侵害の余地はないのである。

なるほど後日青色申告の承認を取消されるような行為については、多くは未必の故意の存在が認められ、租税債権侵害の危険性は十分に看取し得るところではあるが、所得税法二三八条一項は犯罪の既遂だけを処罰の対象とするものであつて予備罪や未遂罪の処罰を規定しているものではないから右法条の解釈によれば、犯罪の既遂の時点とされている納期の時点においては存在せず、その後に発生したいわゆる取消益を犯則所得として取扱うことは許されない。

昭和四九年九月二〇日の最高裁第二小法廷判決は、法人税法違反被告事件につき次のように判示している。

おもうに青色申告承認の制度は、納税者が自ら所得金額及び税額を計算し自主的に申告して納税する申告納税制度のもとにおいて、適正課税を実現するために不可欠な帳簿の正確な記帳を推進する目的で設けられたものであつて、適式に帳簿書類を備え付けてこれに取引を忠実に記載し、かつ、これを保存する納税者に対して特別の青色申告書による申告を承認し、青色申告書を提出した納税者に対しては、推計課税を認めないなどの納税手続上の特典及び各種準備金、繰越欠損金の損金算入などの所得計算上の特典を与えるものである。ところで、被告人村松愛作が被告会社マルアイの業務に関してなしたように、法人の代表者が、その法人の法人税を免れる目的で、現金売上の一部除外、簿外預金の蓄積、簿外利息の取得及び棚卸除外などによりその帳簿書類に取引の一部を隠ぺいし又は仮装して記載するなどして、所得を過少に申告する逋脱行為は、青色申告承認の制度とは根本的に相容れないものであるから、ある事業年度の法人税額について逋脱行為をする以上、当該事業年度の確定申告にあたり右承認を受けたものとしての税法上の特典を享受する余地はないのであり、しかも逋脱行為の結果として後に青色申告の承認を取り消されるであろうことは行為時において当然認識できることなのである。したがつて、青色申告の承認を受けた法人の代表者がある事業年度において法人税を免れるため逋脱行為をし、その後その事業年度にさかのぼつてその承認を取り消された場合におけるその事業年度の逋脱税額は、青色申告の承認がないものとして計算した法人税法七四条一項二号に規定する法人税額から申告にかかる法人税額を差し引いた額であると解すべきである。

右判旨は「法人の代表者が(中略)………行為時において当然認識できることである」という前提が存すれば「青色申告の承認を受けた法人の(中略)………法人税額を差引いた額であると解すべきである。」という後段の結論が必然的帰結となるがごとく解しているが、その論理には飛躍があり前述の理由よりして誤つたものというべく、行為の危険性に重点をおくあまり立法の不備を解釈によつて補わんとするものである。

即ち、憲法三一条に違反して所得税法二三八条一項が既遂罪のみの規定であるのに予備罪・未遂罪をも含むと拡張解釈してこれを適用し、憲法三九条に違反して、所得税法一五〇条一項が規定する青色申告承認取消処分の遡及効は単に課税上のものであるのに刑事手続にもその効力が及ぶものと解釈してこれを適用しているのである。

右最高裁判決の趣旨を踏襲したと思われる本件起訴は、同様の誤りを犯しているわけである。

(三) この点については間接税関係ではすでに立法上次のような配慮がなされているのである。

即ち物品税法四四条一項一号は、「偽りその他不正の行為により物品税を免れ、又は免れようとした者。」 酒税法五五条一項一号は「偽りその他不正の行為によつて酒税を免れ、又は免れようとした者。」入場税法二五条一項一号の「偽りその他不正の行為によつて入場税を免かれ、又は免かれようとした者。」印紙税法二二条一項一号は「偽りその他不正の行為により印紙税を免れ、又は免れようとした者。」関税法一〇九条二項は、「前項の罪を犯す目的をもつてその予備をした者、又は同項の犯罪の実行に着手してこれを遂げない者についても同項の例による。」同法一一〇条三項は「前二項の罪を犯す目的をもつてその予備をした者、又はこれらの項の犯罪の実行に着手しこれを遂げない者についてもこれらの項の例による」同法一一一条二項は「前項の罪を犯す目的をもつてその予備をした者又は同項の犯罪の実行に着手してこれを遂げない者についても同項の例による。」とそれぞれ規定を設けているのである。

所得税法二三八条一項の規定にはかかる内容のものは存しないのであるから検察官主張のような拡張解釈は到底許されない。

二 右に対し、原判決は次のとおり判断した。

弁護人は、本件において、いわゆる青色申告の取消益として昭和五〇ないし五二の各年度の専従者給与及び青色申告控除額が遡つて犯則所得に計上されているけれども、各年度の確定申告時ないし法定納期において被告人はいまだ青色申告承認の取消を受けていない以上、前記の専従者給与等は犯則所得とはなりえないと主張する。しかし、所得を過少に申告する逋脱行為は、青色申告承認の制度とは根本的に相容れないものであつて、このような行為の存する以上、当該年度の確定申告に際し、右承認を受けたものとして税法上の特典を享受させるべきではなく、後日、右承認が取消され、しかもその取消に遡及効が認められている以上、逋脱罪の認定に当たつても、その特典がないものとして所得額及び税額を計算すべきものと解するのが相当である。

もつとも、このように青色申告承認の特典を否定して所得額及び税額の計算を行なうためには、犯則者において確定申告の際当該申告が青色申告制度の趣旨に反していることについての認識を有していることが逋脱犯の故意の内容上必要とされると解するのが相当であるが、前掲証拠によれば、本件において、前記のような売上除外行為等を行つている被告人として少なくとも未必的に右のような認識を有していたことは明らかというべきである。

したがつて、本件においていわゆる青色申告の取消益が犯則所得と認められることは明白であつて、弁護人の前記主張は理由がない。

三1 然しながら原判決の右の判断は、青色申告承認の取消行為が裁量処分であることを基調とする弁護人の主張に対する正当な判断とは思えない。

2 およそ租税刑罰法規の解釈にあたつても、普遍的妥当性を得ようとするものと、具体的妥当性を得ようとするものとに分かれるものと理解する。

而して、国家が財政的危機に陥り、課税を強化しなければならない時期においては、後者の解釈的立場が課税強化の目的達成のため頭を抬げ、時には立法の不備を解釈によつて補うに到るのであるが、このような場合は司法的抑制によつて法的安定性が維持されなければならないのは当然である。

3 いわゆる青色申告承認の取消益については、終戦後シヤウプ勧告によつて青色申告制度が創設されて以来、課税上の益金とはなるが、犯則所得には該当しないという解釈が大勢を占めていて実務上も永年に亘つてこの解釈を踏襲して来たものである。

ところがその後科罰範囲を拡げるため犯則所得額を増加させようという要請からその目的にそう租税刑罰法規の解釈即ち俗にいう強気の解釈が各分野にはびこつて来たのであるが、青色申告承認の取消益を犯則所得とする解釈もそのひとつの表われである。

4 青色申告承認の取消益を犯則所得として取扱うことが、あらたに立法措置を講じないかぎり憲法三一条、三九条、所得税法二三八条一項の規定に違反する理由については前記のとおり原審において弁護人が出張したとおりである。青色申告承認の取消益が犯則所得となると解釈するときは、その取消が所轄税務署長の裁量処分によつてなされること、換言すれば、行政庁の裁量によつて犯罪の成否が分かれることを是認するものであつて、到底法規範に対する普遍的妥当性を得た解釈ということはできない。

5 昭和五二年六月三日付朝日新聞(別添四)は「83億円も申告もれ、新日鉄過去四年の所得」という見出しで、同社が、昭和四九年三月期から昭和五一年三月期までの間に約八三億円の申告もれにより過少申告加算税、重加算税を含め三〇億円近い追徴課税を受けたことを報じているが、同社の第五三期(昭和五二年四月一日から昭和五三年三月三一日)営業報告書に添付された昭和五三年三月三一日現在の貸借対照表(別添五)によれば、

当期利益 一五、八四七、九七一、六八四円

に対し、青色申告者に対する特典として認められている

特別償却引当金 九一、二三二、一九七、一四五円

価格変動準備金 二六、八三七、〇〇〇、〇〇〇円

投資損失準備金 八、〇五二、一八二、一二六円

公害防止準備金 二五、〇七三、六〇四、六三九円

合計 一五一、一九四、九八三、九一〇円

が計上されていて、同社は前記のように多額の重加算税を賦課されながら、裁量によつて青色申告の承認の取消を受けていないことが認められる。

右の例に鑑みると青色申告承認を取消すべきか否かは、単に取消益となるべき金額の多寡のみによつて決められるのではなく、課税庁として広汎な行政的配慮のもとになされるものと理解できるのである。しかしながら、そのことが直ちに刑罰分野まで影響を与え犯罪の成否をも決定するというほどの妥当性を有するものではない筈である。

昭和五六年の法律の改正によつていわゆる直税事件の法定刑が重く変更されるに至つた現在、青色申告承認の取消益を依然として犯則所得となし、その結果弱い者いじめとなるような法律解釈は当然改められなくてはならないものと確信する次第である。

第三点 原判決の刑の量定は重きに失する。

一 原判決は本件の量刑の事情について次のとおり判示している。

本件犯行は、犯行当時ケミカルシューズ製造業に従事していた被告人がいわゆる「石油シヨック」による収益率の低下を口実として敢行したものであつて、その動機において同情の余地がなく、また犯行態様も昭和五〇年から同五二年の三年間にわたり、売り上げの相当部分を帳簿から除外して、これを仮名預金として資金留保などするという巧妙かつ悪質なものであり、右三年間のほ脱税額は合計四、七九五万円の多額に及び、そのほ脱率も九〇%を超える高率であり、これらの諸事情を考慮すれば、本件は同種事犯のなかでも悪質と言わざるを得ない。他方、本件査察調査後、被告人において本件起訴対象年度につき合計九、三八〇万四、九四〇円の国税、地方税を納付するとともに、経理の明朗化に意を尽していること及び被告人にこれまで同種前科の存しないことなどの被告人に有利な諸事情もあるので、これらを総合考慮し、被告人を主文掲記の懲役及び罰金に処するとともに懲役刑についてはその執行を猶予することとしたものである。

二 しかしながら被告人が、昭和五〇年から同五二年の三年間にわたり、売り上げの相当部分を帳簿から除外してこれを仮名預金として資金留保したという事実は全くない。この点は前にも述べたとおり証拠に基かない原判決の独断である。

被告人が売上金の一部を帳簿から除外したのは、石油シヨックによる収益率の低下を口実とするものではなくて従業員に対する裏給与、従業員の源泉所得税の自己負担、領収証を徴することのできない出張関係費用、接待関係費用、デザイン料等を捻出するためであつてその金は尽くこれらに費消している。

従つて右三年間に売上除外金から発生した仮名預金は存在しない。

三 また第一点掲記のとおり被告人はケミカルシューズの製造では利益を得ていないので原判決認定のようにほ脱税額が多額である筈もなく従つてほ脱率も高率とはならない。

四 原判決は、右のように罪となるべき事実ならびに情状に関する事実についても誤認しているものであるが、さらに原判決が認めている被告人が本件査察調査後、本件起訴対象年度につき国税地方税合計九、三八〇万四、九四〇円という多額の納税をしていること(この点については、第一点掲記の理由から不当に高額なものとなつている)、経理の明朗化に意を尽くしていること、被告人には、同種前科の存しないことを併せて斟酌すれば原判決の量刑は著しく重く不当である。

以上の諸理由により原判決は当然破棄さるべきものと確信し本件控訴に及んだ次第であるが、本件には広汎にわたつて著しい審理不尽と判断の脱漏があるためさらに多岐にわたつて詳細な審理を必要とするので事後審である控訴審での審理は不適当であり、再度第一審で審理を尽くさせるべく原判決を破棄して原審に差戻されるのが相当と思料される。

以上

(編者注 別添一 五一年分品名・販売価格。原価・利益一覧表、別添二 五二年分品名・販売価格・原価・利益一覧表、別添三 四九年末在庫、計算表から除外された資材の品目、別添四 新聞記事、以上については登載省略)

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